2025-06-28

泣けるインド映画

この週末、ちょっと風邪をひいてしまいました。
暑いと「風邪を引く」という感覚が薄くなりがちですが、夏は夏で冬とは違うウィルスが活発になるそうです。
夏風邪の特徴は「短い期間に辛さが強烈に出る」傾向があるそうです。確かに今回私もそうでした。辛い状況は落ち着いたのですが、まだ復調半ばでグッタリしているので、お出かけも農作業もやめて、家でゆっくり過ごしています。

で、この機会に兼ねてから見たかった映画を鑑賞。
本日見たのは・・・
インド映画 RRR (2022年)

3時間のすごく長い映画ですが、すごく良かった!
ナートゥダンスなど目を惹くシーンが多く、おもしろい!という感想が溢れているため、コメディーっぽい映画かな? と勝手に予想していたのですが、全然そうじゃなく。
私はボロボロ泣きながら見ていました。
インドの神話や植民地時代の抑圧がベースにあるためか、ジワっと心に響きます。
長い歴史のある伝承などは、国境を越えて訴えかけるものがありますね。

大英帝国の皆様(あえてこの国名で書きます。今の国名だと誤解が生じますので)のヒールっぷりが相当えぐいのですが(笑) 彼らの結末は何だか文明社会に対する皮肉のようにも取れました。
ただ、ヒールとして純粋に見ることもできないところもあり・・・最近の日本人、この映画の「大英帝国人」みたいに傲慢になってないか?と心配になる側面もありました。

もっと早く見るべきだったなー
たまには泣いてスッキリするのもよいです。
語りたいのは山々ですが、ネタバレになりそうなので、これくらいの内容に留めておきます。

さて、今夜も少し早めに寝て、風邪も心のモヤモヤも一旦クリアしましょうか。
明日は日曜日ですが、仕事です。いつになったら「昭和の半ドン」に辿り着けるかな。

2025-06-22

旅行5カ年計画

 一気に夏が来ました。とても暑いですね。
今日はこんな暑い中、トマトの定植作業を行っていました。
苗の大きさを見極めながら、かつしばらく雨が降らずに土が乾き気味の時でないと植え付けがうまくできないので、暑いという理由だけで断念するわけにもいきません。
熱中症にならないよう小まめにスポーツドリンクを飲みながら作業していましたが、やはり正午あたりには「モームリ」となり、一旦作業の続行を断念してしまいました。
仕方ない、明日早起きして仕事の前に残りを進めましょうか。

でも、このような作業ができるくらいまで体調が戻ってきたことは、素直に嬉しいです。
ご迷惑おかけした皆様へのお返しはまだまだ続くため、すぐさま次の行動ができる状況にはありませんが、少しずつ「動く」ことを増やしていきたいと思っています。

ちょうど今月の初旬に、電車で数十分ほどの水族館に行ってみたのですが、いい気晴らしになりました。
人間、同じ場所で鬱々としているのは精神的に良くないという研究もあるみたいです。
以前はちょくちょく旅行に行っていたのですが、すっかり停滞していたので、将来の楽しみのために頑張れよという自分への励ましの意味も込めて、希望の旅先リストを作ってみました。

その前に・・・旅行に行けるのは少なくとも10月以降になりそうです。
週1日しか休暇を取れない状況に加え、上記の通り真夏のトマト栽培という仕事もあります。
トマトは水を与えすぎると身が割れるし、かといって昨今の真夏は水の消費も激しいため、1日に2回水やりが必要な時も多々あります。丸一日ですら留守にできないです。
とりあえず夏の間は、せいぜい日が暮れてから都心で開かれるイベントに出向くくらいに留める予定です。

秋になってトマトの最盛期が終わったら、月に1回であれば週に2日休める日が取れそうな見込みです。その際は、伊豆方面を皮切りに、少しずつ距離を伸ばして「関東圏に隣接する範囲で1泊2日」くらいのドライブ旅行に行ってみようと思います。
車も殆ど運転していないので、その前に少し点検や軽補修を済ませておきます。

冬に近くなると、もうちょっと時間ができるかな? 良いも悪いも1〜3月のIT業は新規受注が停滞するので、もう少しお金の余裕も作っておいて、国内+飛行機で行ける場所に足を伸ばしてみたいと思っています。
意外にも沖縄に行ったことがないのです。距離・時間・費用的に現実的な範囲のため、ぜひ訪れようと思っています。

来年の春〜夏は、今年と同じくトマト栽培のため旅行は無し。これはもうトマト栽培続けている以上は仕方がないでしょう。

そして来年の秋以降。もうちょっとまとめて休みを取って、海外に行ってみたいです。
ちょうど新型コロナ騒ぎ直前にオーストラリアに行ってみようと計画していたのですが、結局あの騒ぎで中断、その後も波瀾万丈で計画がずーっと流れていたので、再チャレンジしたくてうずうずしています。

更に何年後か。おそらく5年後くらいになっちゃうかな。大きな目標として「南米」に行ってみたいです。
お目当てはもちろん、「株式会社ミツユビ」の名前・ロゴマークの由来になった、ミツユビナマケモノさんに会いに行く!
会社のWebページにある「ナマケモノ豆知識」にも一度書いたことがありますが、ミツユビナマケモノは動物園での飼育ができないため、現地に見に行くしかありません。
それだけ・・・それだけです! なんて小さな目的。でも簡単には叶わない目標。
完全に地球の裏側である上に直行便も無いため、調べてみると日本から南米までは片道でも丸一日かかってしまうようです。移動だけでも往復2日かかります。少なくとも1週間は留守にするくらいの計画が必要になりそうです。


近頃、昔からの知人から「明らかにやつれているけど・・・大丈夫? 無理しすぎはよくないよ」と声をかけられることがよくあります。
そうかもしれません。でも去年の出来事で仕事も生活も一度壊滅的な状況になり、今は無理せざるを得ない状況です。
たまに「もう諦めてしまおうかなぁ」と弱気になってしまう時もありますが、こうやって考えてみるくらいであれば無料なので、自分の心に少しだけ水を与えて、明日も頑張ってみようと思います。

2025-06-18

ホワイトカラーの「大吟醸化」

夏が来ました。
昼前で既に30度は超えていたでしょうか。日差しも強烈です。
トマトもぐんぐん育っていますが・・・まだ小さい苗は、なんと焦げたというか焼けたというか、だめになってしまいました・・・
小さい苗の管理、もうちょっと考えないとなぁ・・・
トマトの状況については、もう少し成長してきたら、詳しく書きたいと思います。


さて、引き続き、AIで物事がどう変わるとおもいますか? という質問をよくいただきます。
厳密に分類すると、私は「AIの専門家」ではないので、踏み込んだ回答まではできないのですが、おそらく近場の仕事をしている身として尋ねられるのかな? と思いつつ回答しています。

そんな中でここ数週間芽生えてきた考え方として
「ホワイトカラーは『大吟醸化』するだろうな」
という概念が出てきました。

大吟醸とは日本酒の種類の一つです。
お米の粒は外側と内側で味が違って、内側にいくほど「雑味」が少ない味になることを踏まえて、お米の外側を多く削って作る日本酒です。
この削る作業を「磨き」と呼びます。
大吟醸でないお酒でも「磨き」は行いますが、大吟醸と名前を付けるには、50%以上を削る必要があります。
超高級酒の場合は70%も削ってしまい、残り3割でお酒を造る場合もあります。
そうすることで、雑味の無い、とても澄んだ味わいになります。

いわゆるホワイトカラー人材も、このような「磨き」が発生するのではとみています。
本当に今後も「ホワイトカラー」を貫きたいのなら、相当磨かなくてはなりません。
なぜなら、すでに相当磨かれたAIという存在が出てきたから。
ましてや、挨拶もせずそっけない態度で「それって意味あるんですか?」みたいなこと言ってたら、相当な磨きが必要でしょうね。それでも許されるだけの超越した能力を持つ人って、どれくらいいるのでしょう。

とはいえ、全てに対して悲観的になる必要もありません。
なぜこの例えかというもう一つの理由がありまして、「その磨いたお米、どうなるの?」という続きの話があります。
簡単にまとめますと「別のものになります」。
高級酒ではない普通のお酒になったり、米粉としてお菓子の材料になったりします。決して捨てられてしまうわけではありません。
でも人間って良きも悪しきも「欲」があるので、置かれている立場を勘違いした上で腐ってしまったら、それはもう「廃棄物」になるしかないですね。

また、日本酒は必ずしも「大吟醸」だけではないです。
お米自体が美味しいので、あえてあまり磨かないで「お米そのものの味わいを楽しむ」品もあります。
人間に例えるなら、飾り気はなくても楽しいキャラクターの人など、AIに置き換えることが難しい「有益な独自性」を持っている人は、これまでとは違う形で活躍する可能性も秘めていると思います。

AIが進化したからという理由で、人間の存在そのものが脅かされる心配は、今のところあまり無いかなというのが、率直な感想です。
ただ、AIが出たことで、周囲の状況は明らかに変わっています。
ホワイトカラーだと威張っていられる時代は正直終わりました。そこに残りたいなら、これまで以上に、人間としての磨きをかける必要があるでしょう。
状況が変わったことに気付かない、または変わったのに適切な行動が取れないという理由で「腐ってしまった」なら、残念ながら「捨てられるしかない」です。

正確に統計を取ったわけではないですが、あくまで身の回りを見渡した限りですが、おそらく8割方の人たちは、あまり気にせずとも、その人の調整力で上手く場所は見つかると思います。
残りの2割の方が問題ではありますが・・・楽したい・威張りたい・ちやほやされたい では、腐っていくしかないと思います。
あまり面倒なことに巻き込まれたくないなぁというのが、私の正直な感想です。

2025-06-08

人生のメタファーだった、あのゲーム

回復と次への仕込みを同時にこなさねばならず、まだまだ結実していないのでお金的には苦しいながらも、何とか乗り切りつつ暮らしている毎日です。
壁はいろいろあるのですが、着実にこなしていきます。着実にやる、それしかないです。

ときに、今日は貴重なお休みなので、むしろ雑多なことに触れるようにしていた一日でしたが、ふとその中で、あることを思い出しました。
それは、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」というゲームの初代版。
発売は1991年ですか。かなり古いですね。私は当時高校生でした。
相当遊びました。

その中で、いわゆる「残基」が増える1upのボックスが出てくるのですが、この出現位置が今となってはとても心にじんわり響く場所だなぁと。

このゲーム、基本的に「一番下まで落ちるとアウト」というルールがあります。
よく見かけるルールですね。宙に浮いたようなところから一気に転落する上に、当時のゲームとしては珍しい「加速度」が付くこともあるので、高所恐怖症の人には結構心臓に悪いかも。
その1upの出現位置、割と法則がありまして、基本的に
「落ちて失敗する!」と思えるその途中に、生き残ることができる場所が不意にあり、その近くにあります。

・・・自分の状況になぞらえてみたり・・・
更に、地味にジャンプで登っていけば、元に戻れるルートもあります。ジャンプできる高さは限られている中、ちょうど届くか届かないか? でも届く! という階段状になったルートですが、でも絶妙に登れる高さになっています。
ルートはあるのか? 自分。ジャンプできるのか? 自分。

もちろん、他のパターンもあります。
・基本ルートからジャンプを繰り返して、高い場所に登ったところ
・壁のように見えるところに通路があり、その途中にある
なども、何かのメタファーのように思えます。

これ、なんで思い立ったかというと、今のZ世代の心情みたいな話の中で
「常に残基が1機しかない状態で身動きが取れない」
みたいな話がきっかけでした。
残基が無いから他人を蹴って落としたのか。あいつ趣味悪いな〜と思いつつ、もしかして落ちきらずに踏ん張った自分、今1upボックスの近くにいるのでは? と、ふと思いました。
地道に登っていくルートもあるのかも。
少し希望が持てました。

いやゲームの世界ですからね。現実世界も必ずそうとは限らないですが。
とはいえ落ちてしまった自分という事実も抱えつつ、1upボックス探しも一興なのでは、と気持ちを切り替えることができました。

また明日からがんばりましょうか。

2025-05-31

アピりに見える裏の心

引き続き、自ら回復しながら去年の埋め合わせを進める毎日を送っています。
本当は、できれば何事にも半日〜1日程度の余裕を持って暮らしたいですが、状況が許してくれず。前に進んでいくしかありません。

ときに、ここ数週間ほど、久しぶりに会う知人と話をしたり、また新たな出会いがあったりする中で、思ったことがあります。

ちょっとえぐい話ですが、
・特定のキーワードを絡めてくる人に、危ないタイプの人間が潜んでいる
ということです。
・・・もうちょっと具体的に書かないと分かりにくいですね。
・世のため人のためをアピールして、私いい人でしょ?みたいなこと言う人の危険性
です。
去年、もっとこの部分に気付くべきだったと、今は猛反省しています。

思えば、すご〜く昔からの言葉に、それを的確に表す言葉がありました。
それは
「陰徳」
という言葉です。
今時の言葉で平たく言えば、
「本当に良いことは、人に見えない形で行う」
という言い方になるでしょうか。

自分の職業に関連するジャンルでも度々遭遇するのですが
「昔からあった○○は、こういう意味があった」
というケースに気付くことがあります。
この言葉もまさにそうです。
単に心がけを指す言葉ではありませんでした。
「いいことやってるアピが強い人をよく見ろ。裏に悪人の顔が透けて見えるぞ」
という意味も隠れていました。

そしてそういう人たちが得てして連ねる言葉が
・地域・社会・弱い人への貢献
という言葉。
表面的なパブリックイメージを作りながら、個別具体的には暴力的な損害を与えてきます。
もーっとよくよく見てみると、実は税金に代表される「誰かから徴収されたお金」に群がっているだけだったりします。

逆に、これは年始あたりに自分自身が行き詰まってしまい、半ば強制的に「普段とは違う光景」を見たから思えることなのですが、
・表からは見えない、表には見せにくいけど、自分でリスクを取り、仕事をしている人は素晴らしい
と思います。
リスクとは何か。様々なリスクがあります。
高所作業など、落ちたら生命に関わるという、具体的に危険な仕事があります。
そうでなくても、やはり危険が裏に潜んでいたりとか、臭いや騒音など様々な嫌悪感、人々からの偏見や誤解を受ける仕事もあります。
誰にも言えない複雑な事情、仕事を選んでいられないといった状況があり、自分としてはあまりやりたくないけどその仕事に従事している、そういうタイプの仕事は沢山あります。
得てしてなのですが、パブリックイメージはあまりよくないみたいです。
でも、パブリックイメージは、その人たちの本当の価値ではありません。
今の自分にとっては、むしろこのような仕事のほうが「陰徳」のように思えます。
そして「いいことやってるアピが強い人」、こういう本当に辛いことをやろうとしません。むしろ変なラベリングで叩いてきたり。

自分は・・・これは創業当時から思っていたことですが、改めて表明します。
「別に世のため人のためにやってません。商売ですから。」
だからといってボッタクリしようとも思いません。
三方よしという言葉がありますが、そこまでいかずとも、まあお値段出した分に利益が乗って帰ってきて、周囲に害毒を撒き散らしているわけでない、それでいいじゃないですか。

そして今回、新たに以下の内容を加えます。
「いいことやってますアピが過ぎる人間、あなたたちを敵対視します。裏は透けています。私の居場所に入ってこないでください。」

つまるところ、居場所をどこに置くか、なのでしょうか。
物理的な住所という意味ではなく、今風に言えば「コミュニティ」になるのかな。
幸か不幸か様々なコミュニティを旅したことで、どの場所に居たいのか、だいぶイメージが固まってきました。
これからは「居たい場所に居る」を心がけたいと思います。

2025-05-18

久々に料理のことを考えたり

本日はお休みをいただいています。
あせる気持ちもあるし、やりたいこともあるのですが、それに振り回されてしまうと一週間のトータル活動量が減ってしまうことも、ここ数ヶ月痛いほどに実感しています。
現時点で、あくまで自分の状況を見ての判断ですが、やはり1週間に1日は休まないとバテます。
できれば「昭和時代」のようにプラス0.5日の休暇も欲しいところですが、それはまだ先かな。

去年はとにかくがむしゃらに詰め込んで、我慢して我慢してを繰り返しすぎ、悪循環に陥ってしまいました。
もともと実益も兼ねて料理が一つの趣味になっていたのですが、それも省き、宅配とかで取り寄せれば何とかなるという発想で乗り切ろうとしすぎたことが、ある意味破綻寸前まで追い込む一因になってしまったのではと思っています。

今日は休暇ということもあり、ちょっと料理でもしようかなという気分です。

まだ季節は少し先ですが、個人的に夏場によく作る簡単な一品をご紹介します。
「とうもろこし・小松菜・豚バラのニンニク醤油炒め」です。
材料はそのまま書いた通りです。個人的にはネギ系とかシイタケも少し入れるのが好みです。
とうもろこしを炒め物に? と思われるかもしれませんが、これがなかなかいい味出してくれます。
とうもろこしは茹でずにそのまま身の部分を包丁で削ぎ落として使います。
肉→にんにく・とうもろこし→ネギ・シイタケ→小松菜の軸→小松菜の葉の順に投入します。
醤油は最後の仕上げにジュッと音が鳴る程度、ほんの数秒程度の火の通し加減がよいです。
あと、仕込み段階のちょっとしたコツですが、とうもろこしが入っている都合上スプーンで食べることになるので、材料は全体的に少し小さめに切ったほうがいいです。

とうもろこし+醤油といえば・・・そう、屋台とかで売られている焼きトウモロコシのような味になります!
また、にんにく+醤油の組み合わせも王道ですので、手軽でバッチリなお味が簡単にできます。

若干贅沢なパターンになるのですが、とうもろこしを枝豆に変更しても良いです。
とても贅沢になりますが、その枝豆を「茶豆」に替えたりすると、さらにグレードアップ!
(枝豆は、一度茹でてから使ったほうがいいです)

調子悪かった時は、本当に食べ物の味や香りなんて全く感じ取れず、こんなことを考える余地は全くありませんでした。
ああ・・・前向きなことを考えられるようになってきました。
この調子で、元の状態に戻っていきたいです。

2025-05-11

過ぎたいいとこ取りは危険

ゴールデンウィークが終わりました。
私にとっては、そんな休みは無かったですが・・・
とにもかくにも、元に戻さないと。

さて、ここのところ何かと話題になりがちなAIですが、多くの方とお話している中で「これはちょっと危険だな」と思うことがありましたので、少し書いてみようと思います。

今話題のAI、確かにとても進化しています。これまでコンピュータではできなかったことが実現できていることは素晴らしいのですが、いかんせん、ちょっと過剰期待気味なのでは?と感じています。

AIの基本的な仕組みとして「ニューラルネットワーク」というものがあります。これは本当に人間の脳細胞で起きている情報伝播をそのまま模したもので、とても「人間っぽい」ことができるのですが、それがゆえに、その技術特性を知っておかないと思わぬ落とし穴に落ちます。

ざっくりまとめると、「人間っぽくなったので、人間のように間違えます」。
実際私もAIを活用している中で、これ間違ってるなという箇所には時々遭遇します。
ただ、それは私がこれまでこの仕事を続けてきたからそういう視点が持てているだけなのかもしれません。
多くの方は、それ以前の「プログラムを動かすコンピュータ」と「今の時代のAI」を混同して、「間違っていないパーフェクトな回答を都度柔軟に思考して何でも返してくれる」という錯覚に陥っているのでは?と心配になることがあります。

これまでの「プログラムを動かすコンピュータ」は、どちらかと言うと「機械」に近い存在かもしれません。組み上げるには様々な内容を検討し、調整などを繰り返し、精度を上げていく必要があります。
しかし一度組み上がったプログラムは、停電やコンピュータの物理的破損など、よほどのことがない限り、同じ事をきっちり同じように繰り返してくれます。

かたや今話題のAIですが、そんな面倒な手続は不要です。どこからか収集した情報を基に、質問した内容に「非常にそれっぽい」回答をしてくれます。
「非常にそれっぽい」=「概ね正解」だったりするので、皆さん驚いているのですが、同じAIに同じ質問をしても必ず同じ答えが返ってくるとは限りません。まさに人間のように。

受け取る人間側が、この2つを混同して、更に「いいとこ取り」しすぎようとすると、結構厄介なことが起きます。
「プログラムなんて全部AIが書いてくれるんじゃないの?」といった考え方です。
えっと・・・まあ正直に書きますが、
「素人よりはマシです。似非エンジニアよりもマシです。でも中途半端です。」
そんなはずはないだろ、という方は、まあお試しください。本当に製品として正しく作れるようであれば、それで起業すれば大もうけですよ! って、それができているなら、当のAI作ってる会社自体が、そういう事業を既にやっていて、私たちのようなエンジニアはいなくなっているはずですが・・・なぜそうなっていないのか。お察しください。

詳しく書き始めるととても長くなるのですが、今のAIがまだ人間に追いつけない理由は、ざっくり2つです。
一つは、上記の「人を模した仕組み」を作るには、まだ細胞数(ニューロン数とか言われます)に対するエネルギーの必要量がアンバランスです。人間一人分のニューロン数には達しているものの、それを動かすには発電所一つ分くらいの電力が必要だったりと、相当コストがかかります。それを世界中から使おうとしているわけですから、当然対応できる上限は限られます。
もう一つは、「痛みを伴う経験が無い」こと。残念ながら、彼らはヤンチャやったとしても、何の痛みも返ってこないのですよ。その分、人間同等に真剣に取り組んでいるかの度合いは、やはり下がってしまいます。若干この内容の延長になりますが、AIには味覚・嗅覚・触覚が無いので、そのあたりに関連した知識などは、圧倒的に人間より劣っています。

どのような技術でもそうなのですが、技術特性を考慮しないで、人間側が表面的にすごいと思うことに過剰期待してしまうと、ちょっと良くないことが起きてしまうということは、これまで人類は度々繰り返してきています。
今年あたり、AIに組ませたプログラムのシステム障害で、何か社会的な問題になりかねないことが出てきたりするかもしれませんね。
まあ起きてみないと何とも言えないですが、私は昨今のAIに対する過熱気味は、ちょっと冷ややかに観察しつつ、自分の軸を持った上で、上手く活かしていきたいと思っています。