引き続き、自ら回復しながら去年の埋め合わせを進める毎日を送っています。
本当は、できれば何事にも半日〜1日程度の余裕を持って暮らしたいですが、状況が許してくれず。前に進んでいくしかありません。
ときに、ここ数週間ほど、久しぶりに会う知人と話をしたり、また新たな出会いがあったりする中で、思ったことがあります。
ちょっとえぐい話ですが、
・特定のキーワードを絡めてくる人に、危ないタイプの人間が潜んでいる
ということです。
・・・もうちょっと具体的に書かないと分かりにくいですね。
・世のため人のためをアピールして、私いい人でしょ?みたいなこと言う人の危険性
です。
去年、もっとこの部分に気付くべきだったと、今は猛反省しています。
思えば、すご〜く昔からの言葉に、それを的確に表す言葉がありました。
それは
「陰徳」
という言葉です。
今時の言葉で平たく言えば、
「本当に良いことは、人に見えない形で行う」
という言い方になるでしょうか。
自分の職業に関連するジャンルでも度々遭遇するのですが
「昔からあった○○は、こういう意味があった」
というケースに気付くことがあります。
この言葉もまさにそうです。
単に心がけを指す言葉ではありませんでした。
「いいことやってるアピが強い人をよく見ろ。裏に悪人の顔が透けて見えるぞ」
という意味も隠れていました。
そしてそういう人たちが得てして連ねる言葉が
・地域・社会・弱い人への貢献
という言葉。
表面的なパブリックイメージを作りながら、個別具体的には暴力的な損害を与えてきます。
もーっとよくよく見てみると、実は税金に代表される「誰かから徴収されたお金」に群がっているだけだったりします。
逆に、これは年始あたりに自分自身が行き詰まってしまい、半ば強制的に「普段とは違う光景」を見たから思えることなのですが、
・表からは見えない、表には見せにくいけど、自分でリスクを取り、仕事をしている人は素晴らしい
と思います。
リスクとは何か。様々なリスクがあります。
高所作業など、落ちたら生命に関わるという、具体的に危険な仕事があります。
そうでなくても、やはり危険が裏に潜んでいたりとか、臭いや騒音など様々な嫌悪感、人々からの偏見や誤解を受ける仕事もあります。
誰にも言えない複雑な事情、仕事を選んでいられないといった状況があり、自分としてはあまりやりたくないけどその仕事に従事している、そういうタイプの仕事は沢山あります。
得てしてなのですが、パブリックイメージはあまりよくないみたいです。
でも、パブリックイメージは、その人たちの本当の価値ではありません。
今の自分にとっては、むしろこのような仕事のほうが「陰徳」のように思えます。
そして「いいことやってるアピが強い人」、こういう本当に辛いことをやろうとしません。むしろ変なラベリングで叩いてきたり。
自分は・・・これは創業当時から思っていたことですが、改めて表明します。
「別に世のため人のためにやってません。商売ですから。」
だからといってボッタクリしようとも思いません。
三方よしという言葉がありますが、そこまでいかずとも、まあお値段出した分に利益が乗って帰ってきて、周囲に害毒を撒き散らしているわけでない、それでいいじゃないですか。
そして今回、新たに以下の内容を加えます。
「いいことやってますアピが過ぎる人間、あなたたちを敵対視します。裏は透けています。私の居場所に入ってこないでください。」
つまるところ、居場所をどこに置くか、なのでしょうか。
物理的な住所という意味ではなく、今風に言えば「コミュニティ」になるのかな。
幸か不幸か様々なコミュニティを旅したことで、どの場所に居たいのか、だいぶイメージが固まってきました。
これからは「居たい場所に居る」を心がけたいと思います。
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