2025-05-31

アピりに見える裏の心

引き続き、自ら回復しながら去年の埋め合わせを進める毎日を送っています。
本当は、できれば何事にも半日〜1日程度の余裕を持って暮らしたいですが、状況が許してくれず。前に進んでいくしかありません。

ときに、ここ数週間ほど、久しぶりに会う知人と話をしたり、また新たな出会いがあったりする中で、思ったことがあります。

ちょっとえぐい話ですが、
・特定のキーワードを絡めてくる人に、危ないタイプの人間が潜んでいる
ということです。
・・・もうちょっと具体的に書かないと分かりにくいですね。
・世のため人のためをアピールして、私いい人でしょ?みたいなこと言う人の危険性
です。
去年、もっとこの部分に気付くべきだったと、今は猛反省しています。

思えば、すご〜く昔からの言葉に、それを的確に表す言葉がありました。
それは
「陰徳」
という言葉です。
今時の言葉で平たく言えば、
「本当に良いことは、人に見えない形で行う」
という言い方になるでしょうか。

自分の職業に関連するジャンルでも度々遭遇するのですが
「昔からあった○○は、こういう意味があった」
というケースに気付くことがあります。
この言葉もまさにそうです。
単に心がけを指す言葉ではありませんでした。
「いいことやってるアピが強い人をよく見ろ。裏に悪人の顔が透けて見えるぞ」
という意味も隠れていました。

そしてそういう人たちが得てして連ねる言葉が
・地域・社会・弱い人への貢献
という言葉。
表面的なパブリックイメージを作りながら、個別具体的には暴力的な損害を与えてきます。
もーっとよくよく見てみると、実は税金に代表される「誰かから徴収されたお金」に群がっているだけだったりします。

逆に、これは年始あたりに自分自身が行き詰まってしまい、半ば強制的に「普段とは違う光景」を見たから思えることなのですが、
・表からは見えない、表には見せにくいけど、自分でリスクを取り、仕事をしている人は素晴らしい
と思います。
リスクとは何か。様々なリスクがあります。
高所作業など、落ちたら生命に関わるという、具体的に危険な仕事があります。
そうでなくても、やはり危険が裏に潜んでいたりとか、臭いや騒音など様々な嫌悪感、人々からの偏見や誤解を受ける仕事もあります。
誰にも言えない複雑な事情、仕事を選んでいられないといった状況があり、自分としてはあまりやりたくないけどその仕事に従事している、そういうタイプの仕事は沢山あります。
得てしてなのですが、パブリックイメージはあまりよくないみたいです。
でも、パブリックイメージは、その人たちの本当の価値ではありません。
今の自分にとっては、むしろこのような仕事のほうが「陰徳」のように思えます。
そして「いいことやってるアピが強い人」、こういう本当に辛いことをやろうとしません。むしろ変なラベリングで叩いてきたり。

自分は・・・これは創業当時から思っていたことですが、改めて表明します。
「別に世のため人のためにやってません。商売ですから。」
だからといってボッタクリしようとも思いません。
三方よしという言葉がありますが、そこまでいかずとも、まあお値段出した分に利益が乗って帰ってきて、周囲に害毒を撒き散らしているわけでない、それでいいじゃないですか。

そして今回、新たに以下の内容を加えます。
「いいことやってますアピが過ぎる人間、あなたたちを敵対視します。裏は透けています。私の居場所に入ってこないでください。」

つまるところ、居場所をどこに置くか、なのでしょうか。
物理的な住所という意味ではなく、今風に言えば「コミュニティ」になるのかな。
幸か不幸か様々なコミュニティを旅したことで、どの場所に居たいのか、だいぶイメージが固まってきました。
これからは「居たい場所に居る」を心がけたいと思います。

2025-05-18

久々に料理のことを考えたり

本日はお休みをいただいています。
あせる気持ちもあるし、やりたいこともあるのですが、それに振り回されてしまうと一週間のトータル活動量が減ってしまうことも、ここ数ヶ月痛いほどに実感しています。
現時点で、あくまで自分の状況を見ての判断ですが、やはり1週間に1日は休まないとバテます。
できれば「昭和時代」のようにプラス0.5日の休暇も欲しいところですが、それはまだ先かな。

去年はとにかくがむしゃらに詰め込んで、我慢して我慢してを繰り返しすぎ、悪循環に陥ってしまいました。
もともと実益も兼ねて料理が一つの趣味になっていたのですが、それも省き、宅配とかで取り寄せれば何とかなるという発想で乗り切ろうとしすぎたことが、ある意味破綻寸前まで追い込む一因になってしまったのではと思っています。

今日は休暇ということもあり、ちょっと料理でもしようかなという気分です。

まだ季節は少し先ですが、個人的に夏場によく作る簡単な一品をご紹介します。
「とうもろこし・小松菜・豚バラのニンニク醤油炒め」です。
材料はそのまま書いた通りです。個人的にはネギ系とかシイタケも少し入れるのが好みです。
とうもろこしを炒め物に? と思われるかもしれませんが、これがなかなかいい味出してくれます。
とうもろこしは茹でずにそのまま身の部分を包丁で削ぎ落として使います。
肉→にんにく・とうもろこし→ネギ・シイタケ→小松菜の軸→小松菜の葉の順に投入します。
醤油は最後の仕上げにジュッと音が鳴る程度、ほんの数秒程度の火の通し加減がよいです。
あと、仕込み段階のちょっとしたコツですが、とうもろこしが入っている都合上スプーンで食べることになるので、材料は全体的に少し小さめに切ったほうがいいです。

とうもろこし+醤油といえば・・・そう、屋台とかで売られている焼きトウモロコシのような味になります!
また、にんにく+醤油の組み合わせも王道ですので、手軽でバッチリなお味が簡単にできます。

若干贅沢なパターンになるのですが、とうもろこしを枝豆に変更しても良いです。
とても贅沢になりますが、その枝豆を「茶豆」に替えたりすると、さらにグレードアップ!
(枝豆は、一度茹でてから使ったほうがいいです)

調子悪かった時は、本当に食べ物の味や香りなんて全く感じ取れず、こんなことを考える余地は全くありませんでした。
ああ・・・前向きなことを考えられるようになってきました。
この調子で、元の状態に戻っていきたいです。

2025-05-11

過ぎたいいとこ取りは危険

ゴールデンウィークが終わりました。
私にとっては、そんな休みは無かったですが・・・
とにもかくにも、元に戻さないと。

さて、ここのところ何かと話題になりがちなAIですが、多くの方とお話している中で「これはちょっと危険だな」と思うことがありましたので、少し書いてみようと思います。

今話題のAI、確かにとても進化しています。これまでコンピュータではできなかったことが実現できていることは素晴らしいのですが、いかんせん、ちょっと過剰期待気味なのでは?と感じています。

AIの基本的な仕組みとして「ニューラルネットワーク」というものがあります。これは本当に人間の脳細胞で起きている情報伝播をそのまま模したもので、とても「人間っぽい」ことができるのですが、それがゆえに、その技術特性を知っておかないと思わぬ落とし穴に落ちます。

ざっくりまとめると、「人間っぽくなったので、人間のように間違えます」。
実際私もAIを活用している中で、これ間違ってるなという箇所には時々遭遇します。
ただ、それは私がこれまでこの仕事を続けてきたからそういう視点が持てているだけなのかもしれません。
多くの方は、それ以前の「プログラムを動かすコンピュータ」と「今の時代のAI」を混同して、「間違っていないパーフェクトな回答を都度柔軟に思考して何でも返してくれる」という錯覚に陥っているのでは?と心配になることがあります。

これまでの「プログラムを動かすコンピュータ」は、どちらかと言うと「機械」に近い存在かもしれません。組み上げるには様々な内容を検討し、調整などを繰り返し、精度を上げていく必要があります。
しかし一度組み上がったプログラムは、停電やコンピュータの物理的破損など、よほどのことがない限り、同じ事をきっちり同じように繰り返してくれます。

かたや今話題のAIですが、そんな面倒な手続は不要です。どこからか収集した情報を基に、質問した内容に「非常にそれっぽい」回答をしてくれます。
「非常にそれっぽい」=「概ね正解」だったりするので、皆さん驚いているのですが、同じAIに同じ質問をしても必ず同じ答えが返ってくるとは限りません。まさに人間のように。

受け取る人間側が、この2つを混同して、更に「いいとこ取り」しすぎようとすると、結構厄介なことが起きます。
「プログラムなんて全部AIが書いてくれるんじゃないの?」といった考え方です。
えっと・・・まあ正直に書きますが、
「素人よりはマシです。似非エンジニアよりもマシです。でも中途半端です。」
そんなはずはないだろ、という方は、まあお試しください。本当に製品として正しく作れるようであれば、それで起業すれば大もうけですよ! って、それができているなら、当のAI作ってる会社自体が、そういう事業を既にやっていて、私たちのようなエンジニアはいなくなっているはずですが・・・なぜそうなっていないのか。お察しください。

詳しく書き始めるととても長くなるのですが、今のAIがまだ人間に追いつけない理由は、ざっくり2つです。
一つは、上記の「人を模した仕組み」を作るには、まだ細胞数(ニューロン数とか言われます)に対するエネルギーの必要量がアンバランスです。人間一人分のニューロン数には達しているものの、それを動かすには発電所一つ分くらいの電力が必要だったりと、相当コストがかかります。それを世界中から使おうとしているわけですから、当然対応できる上限は限られます。
もう一つは、「痛みを伴う経験が無い」こと。残念ながら、彼らはヤンチャやったとしても、何の痛みも返ってこないのですよ。その分、人間同等に真剣に取り組んでいるかの度合いは、やはり下がってしまいます。若干この内容の延長になりますが、AIには味覚・嗅覚・触覚が無いので、そのあたりに関連した知識などは、圧倒的に人間より劣っています。

どのような技術でもそうなのですが、技術特性を考慮しないで、人間側が表面的にすごいと思うことに過剰期待してしまうと、ちょっと良くないことが起きてしまうということは、これまで人類は度々繰り返してきています。
今年あたり、AIに組ませたプログラムのシステム障害で、何か社会的な問題になりかねないことが出てきたりするかもしれませんね。
まあ起きてみないと何とも言えないですが、私は昨今のAIに対する過熱気味は、ちょっと冷ややかに観察しつつ、自分の軸を持った上で、上手く活かしていきたいと思っています。

2025-05-02

世代の話?ですか?

今日は貴重なお休み日です。
突っ走りたい気持ちは山々なんですが、やはり休まないと力尽きてしまいますので。
来月のこと、半年のこと、来年こと・・・積み上げるには、回復の時間も必要かな。

さて、そんな休日の午前、ぼーっと動画あさりしていたら、ちょっと興味深い話題を見つけましたので、私なりの見解を書いてみます。

その内容とは、ある大学の講義で、配られたPDFの資料に「隠し文字」を仕込んでおき、AIに突っ込むだけで課題を返却する連中をあぶり出した、と。
そのニュースの取材に応じた人は、出てきた結果を見て何かおかしいと思い、結局自分で考えて課題の感想文を書いて難を逃れたそうですが、半分くらいの人がひっかかったとか・・・

私がこの動画を見て思ったことが幾つかあります。

・取材を受けた方の「何かおかしい」という判断、素晴らしいです!
 いやぁ、時代が何だかんだ言われる中、ちゃんと考えている人もいるんですね。
 まだまだ世の中捨てたものではないと思いました。

・その反面、半分の人がひっかかっちゃったんですね。
 やっぱそんなものかな、と、若干悲しくなりました。
 しかもそれに対して「だまし討ちはコンプラがどうとか」と言い出したりするかも。
 大学の講義1回目で「痛い洗礼」で済んだくらいで、むしろラッキーだと思ってください。
 あなたたち、その程度の感覚で変に社会に出てたりすると、とんでもない金額吹っ飛んでましたよ。

・意外と古典的なところでひっかかりましたね(笑)。
 読めない文字仕込むとか、もう30年前には既にありましたよ。
 もっと言えば、更に昔の手法で「みかんの果汁で文字を書いて、火で炙って浮かび上がらせる」とかもありましたね〜
 ハイテクだと思う今の時代も、基本概念は案外ローテク時代の発展形だったりします。
 この構図を知っているだけでも、対応できる幅は格段に違ってきます。

・「昔からありましたよ」という観点からもう一つ。
 ちょっと抽象的な話になってしまいますが、やはり「上の世代を観察する」考え方は、どの時代にも必要なのだろうなと思います。
 今私はこんなこと書いていますが、私が若い世代にも、もちろん上の世代という存在はいました。
 ちょうど私の世代だと、「太平洋戦争をリアルに体験した人たち」がまだ居ました。
 下の世代からすると、なんかよく分からん話をしてるなと思ってた部分がありました。
 折しも冷戦と呼ばれる時代も終わろうとしていた頃で、実際何その昔話?みたいな風潮はありました。
 でも時代は結局一回りして、今思えば、あの時聞いていた内容は無駄ではなかったと思う節は多々あります。

・そして、Z世代?と呼ばれる方々に思うこと。
 同じZ世代でも二極化しているのかな〜と思います。
 多分、あと20年して、Z世代が40代・50代になった頃、同じ世代の人たちに今想像している以上の溝ができていると思います。
 もちろんですが、「この課題の罠にひっかかったタイプ」の人たちは、下に沈んでいるでしょう。しかも「浮かび上がることすらできない」という悲惨な状態になっているのではと予想しています。
 反面、この課題にひっかからなかった人。想像以上にリッチな生活をしているかもしれません。
 どちらになりたいですか? そしてその競争は、上の世代との戦いではなく、同世代との戦いですよ。どうしますか?

私は良いも悪いも世代が違うので、傍観することしかできません。
助け船とかも出しません。特に金銭面では。去年それで痛い目に遭ったので。
ただ、こうやって、少しだけ何かを書くことはできます。

結局のところ、世代とか何とか、あまり関係無いのかもしれませんね。
気付く人は気付くだろうし、気付かない人は気付かないでそのまま。

まあ実力で頑張りましょう。お互いに。